きづけば出発から、9日が経ちました。

僕らは今、長野県 諏訪湖に居ます。

4月8日、鎌倉から踏み出した一歩は歩み繋いでおります。

ただ、正直に申し上げますとナメてました。

去年、鎌倉から島根まで完歩したという慢心が少なからずともあったこと認めます。

うう、、、足が嘆いている。。。

767KMを完歩した日からの日常生活は電車も利用するし車にも乗る。

その日常から12時間徒歩という非日常を再体験。

767kmの体験など、一年も経てば衰えている。

 

皆様の声援とご協力と温かい御支援を励みに踏み出す一歩。

中島宮司からの奉納舞依頼から約1年。

鎌倉から島根までの徒歩道中で繋がった中島宮司との御縁。

きづけば、また歩んでいる。

社会的に考えたら移動手段を「歩み」とすること自体、世捨て人的行為。

現代は、宇宙へまで飛べる。

そんな時代に、宇宙という空の対極となる路上という地。

この大地を踏みしめること。

我が身体をもって究極的にアナログ的移動手段「歩む」こと。

それは現代における最先端移動手段方法に対して完全に対極となること。

ある哲学者はこう言った。

「答えは、いつも対極に存在している。」

その言葉を知って、確かにそうかもって思った。

現代の流れは確実にAIへと向かっている。

携帯を持っていないおかげでブログ更新もIGAのPCを借りる始末な僕。

しかし僕はただのアナログ人間では実は少しなくて。

二級建築士としてCADを使ったりやデザインの時にAIを使いまくっていた人間でした。

もちろんスマホも持っていました。

ただいつからか、マイナンバーをきっかけに人間にもナンバーが付けられる時代に入ったことを自覚しまして。

てか、携帯という個人ナンバーすでに持っててマイナンバー反対とか説得力ないなーと思ったの同時に。

スマホが楽しすぎてスマホ依存症になってしまうことが問題でして。。。

数年前から多くの方々にご迷惑をおかけしつつも携帯を所持していません。

というどうでもいい個人話はどうでもよくて。

ともかく移動手段におけるAI化に対して最も対極的な要素は「徒歩」です。

現代にこそ、歩むことで繋がるラインがあるような。

そのラインにこそ、もしかしたら現代が必要としている「何か」があるのかもしれない。

というか効率化の極みな現代に、完全に不効率な姿を表現することは「自己満」と捕らえられてしまうかもしれない。

ただ、今回は奉納舞の為に歩んでいる。

全ては、野々宮神社 宮司 中島伸男83歳 「我が宮司としての人生最後の仕事」と聞き引き受けた公演企画。

4月28日の奉納舞公演。

尽きるところ、28日まで間に合わなかった普通に電車かタクシーです。

その結果となったらヤバすぎます。

完全に今まで堂々と語ってきた全てが水の泡です。

ただのアホです汗

 

百数十年前、かつての先人は電車も車も無かったころ移動手段となる歩みは「目的の達成」の一つであった。

観阿弥も遠方からの依頼を引き受けた場合、作品となる我が身を我が足で歩み届けただろうと思う。

我が身全身を持って捧げる、

その覚悟で歩み舞っていた時代があった。

現代人である僕は、その覚悟を抱けるのだろうか。

この身を鎌倉から滋賀まで歩み届けることができるのだろうか。

それ以前に歩み届けた後、舞えるのだろうか。

足が痛いので舞えませんなどシャレにならない。

歩み届け【舞る】のだ。

その覚悟は俺にはあるのか。

あるからこそ鎌倉から踏み出した一歩。

自分の過信による苦痛は存在しつつも、このまま毎日33kmペースで歩み続ければ4月26日には必ず到着する。

4月26日のお昼、滋賀県東近江市八日市 野々宮神社へと到着する。

27日にはゲネリハーサル。

28日 黄昏時日の入りに本番。

凄まじいスケジュールだけれど、鎌倉から滋賀まで歩んだ身体のリアリティーは生々しく在れると思っております。

この28日へ、僕らOBAとIGAは歩みを続けます。

到着することが全てである中、関係者並びクラウドファウンディングはじめ多くのご支援を頂き心より感謝しかありません。

そして、引き続き僕らの歩みを応援していただけたら幸いです。

これからも皆様、どうぞ何卒よろしくお願い申しげます。

明日、諏訪湖から中山道を歩み琵琶湖へと歩んで舞ります。

 

一舞一生 – one step , one life –

小畑OBA大左衛門

 

ps

出来るだけブログ更新できるようにIGAからPC借りまくります。よろしくお願いいたします。