遡ること、2017年3月。
ダンサーOBA/小畑大左衛門は、
出雲大社での映画撮影に向けて稽古に入った。
「日の入りの神」という役柄。拠点スタジオでの稽古に限界を感じた彼は、
禊も兼ねて、一本歯と地下足袋を兼用し鎌倉から出雲大社までの 767kmを、
各地の神社をまわりながら、28日間をかけて完歩する。
運命の出会いは、その道中。
滋賀県東近江市の野々宮神社に立ち寄った際、
御年83歳になる宮司 、中島伸男と出会い、大いに語らいあう。
小畑大左衛門になにかを感じた中島伸男は、
2017年の暮れに関東を訪れ「野々宮神社の拝殿で舞いを奉納して欲しい」とオファー。
人生最後の仕事と覚悟を決めて、地域の若い人たちに、
神社の鳥居をくぐるキッカケをつくりたいという中島伸男の熱い想いに、
小畑大左衛門はそのオファーを快諾。
「歩んで舞る。」プロジェクトが動きだした。
ところが、現地への視察・打ち合わせを進める中で突き当たった大きな壁が、予算。
プロのダンサーとして、人前で舞うに際し、必要最低限の演出や運営、撮影を含めたイベントの見積もりは、
何をどうやっても、神社から用意頂いた金額に対して、桁が一桁違うものでした。
このままやっても、僕らが100万の負債を抱えるだけ。
ふつうなら、お断りして終わる話なんだとおもいます。
世の中だいたいそんな感じで、「残念だけど仕方ないねー」というふうに物事が流れていくことって、誰もが経験あるとおもうんです。
でも、今回、僕らは諦めたくなくて。この偶然の出会いから生まれた物語を、紡ぎたかった。
日本におけるダンスシーン(だけじゃなくさまざまな表現活動)において、
マスの商業活動以外での支援や理解が、足りていないということは、クリエイティブな活動の直面している大きな問題であるとも考えています。
今回、よそ者の若いダンサーが神社で踊るとあって、
正直なところ、宮司さん以外、地域の方々は疑心暗鬼でどうなるんだろうと感じていると思いますし、それが当然だと思います。
滋賀から離れた土地で、資金集め、そして仲間探しをすればするほど、地元と離れて行く温度感。
やはり、地域の若い人たちと一緒につくりあげるイベントにしなければ、未来に繋がらないんじゃないか。。。2人で抱える葛藤。
きっと違う方法も沢山あったはずで、もっとスマートにもできるはずなんだけど、
僕らが出した答えは、覚悟と想いを、伝えるべく「自ら広告塔となり、徒歩で野々宮神社に向かうこと」でした。(えっ!)